ご利用のブラウザはサポートされておりません。

ご利用のブラウザでは一部の機能が使用できない、もしくはページが正常に表示されないことがあります。ブラウザを最新のバージョンに更新して閲覧ください。

行事ニュース

2014年度 高校卒業式

3月6日(金)、高校卒業式が行われ、305名が本校を卒業しました。

2014年度 第64回 卒業式:式辞
卒業生の皆さん、ご卒業、おめでとうございます。保護者の皆様、お子様の、ご卒業を、心からお喜び申し上げます。加えて、長い間、本校教育にご理解とご支援を賜りましたこと、厚く御礼申し上げます。

卒業生の皆さん、皆さんは、一人一人持っている夢も違えば、進む道も違います。また、その個性も千差万別です。しかし、皆さんは、疑いなく、素晴らしい可能性を持った存在です。ここにいる305名は、同志社香里の誇りうる素晴らしい卒業生であると、私は自信を持って主張したいと思います。

学校を卒業することを、学校を「巣立つ」とよく言います。「巣立つ」とはヒナが自分の力だけで生きていく、訓練をうけるために「巣をはなれる」ことです。ですから、一人前になったから巣立つわけでなく、一人前になるために巣立つわけです。スズメやヒヨドリなど小型の野鳥の多くは、巣立ってからはじめて地上で飛び方やエサのとり方、敵からの逃げ方、仲間同士のつきあいなどを親鳥や若鳥から学びます。そうしてヒナは自分でちゃんと飛べるようになり、やがて一人前に成長するのです。

ところが、「巣立ち=一人前」というイメージがあるため、巣立つだけで何でも自分で出来るとの勘違いがよくおこります。学校を卒業することも同じです。高等学校を卒業することが、イコールすべて自分で出来る、一人前の大人になるというわけではありません。自分で出来るようになるために、大人になるために、保護のもとではなく、巣立ってからは、自分の力で学ぶということです。

ヒナの例で言うと、「飛べないから、ケガをしてるのではないか?巣立ちを失敗したのではないかと考えて、そのヒナを保護し、保護センターや病院に持ち込まれることがよくあるそうです。しかしそんなヒナのほとんどは、じつは保護の必要がない巣立ちのヒナだそうです。巣立った瞬間からヒナは、自分で親や仲間から生きるすべを学びます。ですから、巣の近くに落ちているヒナは、それが巣立ちに基づくものなら、よほどひどいケガや天敵などの危険がないかぎり、保護などせずに放っておくのが一番よいということです。

皆さんが高校を卒業するということを、高校を「巣立つ」と表現するのは、今まで巣の中で守られていた学びから、大学であれ社会であれ、自分の力(自己責任といってよいかもしれません)での「学び」が始まるという意味からです。

論語でも、孔子は、吾十有(ゆう)五にして学に志す。三十にして立つ。すなわち、私は、十五歳の時、学問を志した。三十歳の時、何者にも動じない立場を持てるようになった。すなわち自治自立したと言っています。したがって、皆さんが自ら学び自立するのは、まだまだこれからだというわけです。しかし、今までのように全面的な保護のもとでではないということで、むしろこれからは、ヒナと同じように安易な保護は、かえって皆さんの成長を阻害しかねないということです。

今日皆さんに伝えておきたいもう一つのことがあります。東日本大震災が起こったのは、皆さんが中学2年生の、2011年3月11日の今日と同じ金曜日でした。被災地、福島県に童謡作詞家の野口雨情記念館があります。彼の「しゃぼん玉」という童謡を聴いたり歌ったりしたことがあると思います。
「しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで こわれて消えた
しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた
生まれてすぐに こわれて消えた
風 風 吹くな しゃぼん玉飛ばそ 」

このシャボン玉は、彼が目の中に入れても痛くないほど可愛がったにもかかわらず、伝染病で二歳で亡くなった娘のことでした。

この詩は、父親の切ないまでの娘に対する愛情から生まれたものでした。
震災のエピソードでは、当日盛岡市に出張していた、川村裕也さんのことも忘れられません。

彼が岩手県沿岸の妻と子供たちのいる自宅にたどり着いたのは、翌朝のことでした。自宅があった場所から200メートル離れたところに家は崩壊しており、その瓦礫を必死でどけるとその下に、11か月の長男を胸に抱きかかえた妻と長男の遺体がありました。奥さんは眠っているような安らかな姿だったのですが、長男を抱きしめたその腕は精一杯の力が込められていました。川村さんは、警察にお願いして、子どもを抱きしめたまま火葬に付したそうです。

卒業生の皆さん、親の愛とはこのようなものです。皆さんの中には本校在学中に親を亡くし、その悲しみを乗り越えて今日を迎えた人もいます。今日の良き日を迎えられたのは、その親の大きな愛があったからこそです。そのことを忘れないでください。

新島襄は、1887年同志社(普通学校)卒業式で「諸君、今日の日本の改良は諸君に期待しないで、いったい誰に期待すればいいのだろうか。」と卒業生を鼓舞しました。
私は、ともすると閉塞感漂う日本と、世界の未来を、皆さんに託したいと思います。

同志社香里は、素晴らしい皆さんのことを決して忘れません。

皆さんの今後の、ご活躍とご多幸を、心からお祈りして、式辞と致します。

では、お元気で。

gradu1 gradu2
gradu3 gradu4