2014年4月9日(水)中学・高校の入学式が行われました。
入学式・式辞
中学248名、高校310名の新入生の皆さんに、同志社香里中学校・高等学校・校長として、心からの祝福を贈りたいと思います。入学おめでとう。また入学に至る、これまでの勉学努力に、深く敬意を表します。今日のお子様の姿を目にされて、保護者の皆様のお慶びも、一入かと存じます。ご入学を、心からお祝い申し上げます。
皆さんは、映画界の巨匠と言われた、黒澤明という映画監督の名前は聞いたことがあると思います。彼の有名な作品のなかに、「椿三十郎」という時代劇があります。
この中で、城代家老の奥方が三船敏郎という名優が演じる侍に「あなたは抜き身の刀のようだ。よい刀というものは鞘に収まっているものですよ。」と述べるところがあります。
抜き身の刀とは、抜いた、むき出しの刀のことで、その刀を収めているものが、鞘です。「あなたは抜き身の刀のようだ。よい刀というものは鞘に収まっているものですよ。」とは、何を意味するのでしょうか。
刀は、鞘から出してこそ、人が切れるという目的を達することが出来ます。しかし、黒澤監督は、剣の達人である侍に、いや、よい刀と言うものは鞘の中に収まっているものだと言わせたのです。
新島襄の言葉にも、よく似た表現があります。刀は日本を脱したあと、手放していたためか、ナイフに置き換えています。
新島は21歳のときに命がけでアメリカへ渡り、31歳で帰国しますが、大学での勉強を終え、神学校で勉強中であった29歳の時、アメリカやヨーロッパに学ぶために、岩倉具視遣外使節団がやって来ました。このとき新島は、教育視察担当の田中理事官、今で言う文部科学大臣ですが、彼の通訳として、アメリカやヨーロッパの教育事情の視察に付き添うことになります。このとき田中理事官に対して、新島が次のように語りました。
「知性だけあって道徳上の主義がなければ、その個人は隣人や社会に対して益をなすよりは一層害をなすであろう。とぎすまされた知性はよく切れるナイフに似ている。」
よく切れるナイフのままでは、だめだというのです。切るという目的を達するためには、よく切れるだけで十分なのですが、これだけでは、危なっかしくて仕方がない。そのままでは、人の役に立つものとはいえないということです。
黒澤明監督も、新島襄も、よい刀、研ぎ澄まされたナイフのままでは、切るという目的は満足しても、人に役立つというわけではないということを言いたかったのでしょう。
では、刀やナイフを知識で置き換えたとき、研ぎ澄まされた知識、知性そのもの以外に、人の役に立つために必要なものとは、何でしょうか。刀で言う鞘とは何でしょうか。
それこそが、その知識、知性を、人に役立つようにする力です。それを新島は、「良心」と呼びました。
当時、日本国内では、とにかく西欧の科学知識を学ぶことを第一に考える政府系の人々と、西欧の科学知識や文明開化に批判的な、日本古来の心を大切にする道徳家に分かれていました。
しかし、新島はどちらにも与することなく、これからの国造りには、西洋の知識を学び知性を磨くことも大切だが、その土台には、それを正しく運用するところの良心が大切と説いたのです。
正しい知識の習得と、それを正しく運用する良心を身に着ける、これが新島襄の目指した同志社教育です。
よい刀は鞘に納めておくものというとき、その鞘は、皆さん自身にほかなりません。この中学校3年間、高等学校3年間の同志社香里での学園生活は、必ずや皆さんを見違えるほど変えてくれるはずです。
知識を磨くこと、良心と言う鞘を身につけることに、一緒に取り組んでいきましょう。
皆さんの門出を心から祝福し、式辞といたします。ご入学おめでとうございます。