2014年3月7日(金)高校卒業式が挙行され、298名の卒業生が巣立ちました。
西山啓一校長式辞
卒業生の皆さん、ご卒業、おめでとうございます。保護者の皆様、お子様の、ご卒業を、心からお喜び申し上げます。加えて、長い間、本校教育にご理解とご支援を賜りましたこと、厚く御礼申し上げます。
卒業生の皆さん、皆さんは、一人一人持っている夢も違えば、進む道も異なります。また、その個性も千差万別です。しかし、皆さんは、疑いなく、素晴らしい可能性を持った存在です。ここにいる298名は、同志社香里の誇りうる素晴らしい卒業生であると、私は自信を持って主張したいと思います。
皆さんのほとんどが生まれる直前の1995年1月17日、阪神淡路大震災が起こりました。このとき約400人の子どもが亡くなり、親を亡くした子供は約600人でした。亡くなった子どもより、親を亡くした子どもの方が多かったのは、最後の瞬間、親が身を呈して子どもを守った結果だろうと思います。
皆さんが同志社香里高校に入学する直前の2011年3月11日には、東日本大震災が起こりました。救助隊が、ある若い女性の家に到着し、そこで瓦礫に埋もれた彼女の遺体を発見しました。倒壊した家屋は、彼女の背中と頭にのしかかっており、彼女はすでに息絶えていました。救助は、生きている人が優先なので、救助隊は、その家を後にし、隣の倒壊したビルに向かおうとしましたが、彼女の遺体が膝立ち姿勢で何かを守っているようであったので、気になり、彼女の下を探ってみたそうです。「子供だ!子供がいる!」
チーム全体が協力し合い、彼女の周りの瓦礫を除去すると、そこには、母の身体の下に、花柄の毛布に包まれた生後三ヶ月の小さな男の子がいました。家が倒壊する時に、彼女は自分の身を投げ打って息子の命を守ったのでした。救助隊が救い出したとき、幼い男の子は、まだ静かに眠ったままでした。医師が駆けつけ、赤ちゃんを包んだ毛布を開くと、そこには携帯電話がありました。そこには、次のような録音が残っていたそうです。「もしもあなたが生き残れたなら、わたしがどれだけあなたを愛していたか、どうか憶えていてね。」
実は、この話が事実であるかどうかの確証はありません。しかし、同じようなことが、あちらこちらで、あったことは事実です。親の愛とはこのようなものです。
皆さんの中には本校在学中に親を亡くし、その悲しみを乗り越えて今日を迎えた人もいます。今日の良き日を迎えられたのは、その親の大きな愛があったからこそです。そのことを忘れないでください。
さて、この卒業式直前には、ソチオリンピックがありました。フィギュアスケートの浅田真央選手が、フリーの演技、フィニッシュで上を見上げた時、その眼には涙がたまっていました。前日のショートプログラムでは、まさかの16位、その夜はなかなか寝付けず、寝不足で迎えたフリーでしたが、苦楽を共にしてきた佐藤コーチが、優しく伝えたそうです。「(思いっきり自分の演技をしなさい。なにかあれば、)リングの中まで、わたしが助けに行くよ」「(フリーでは)沢山の方に支えてもらった感謝を込めました。メダルと言う形で結果を残せなかったけれど、自分の中で最高の演技が出来ました」と、述べていたのが、さわやかでした。
これからの皆さんの人生には、順風満帆うまく事が運ぶときだけでなく、絶望に打ちひしがれるときもあると思います。そのようなとき、皆さんを包んでいる、身近な人の大きな愛と支えとを忘れないでください。決して一人ではないということを。また、結果として思い通りの成果が出なくても、充実した人生があることも忘れないでください。
新島襄は、1887年同志社(普通学校)卒業式で「諸君、今日の日本の改良は諸君に期待しないで、いったい誰に期待すればいいのだろうか。」と卒業生を鼓舞しました。私は、ともすると閉塞感漂う日本と、世界の未来を、皆さんに託したいと思います。同志社香里は、素晴らしい皆さんのことを決して忘れません。
皆さんの今後の、ご活躍とご多幸を、心からお祈りして、式辞と致します。皆さん、お元気で。