今年度、同志社香里が創立70周年を迎えるにあたり、2月2日(水)と9日(日)に中高それぞれで記念礼拝を執り行いました。2日(水)にはPTA常任委員の皆さまに加え、紫翠会と紫香会の皆さまにもご臨席賜りました。
礼拝の冒頭で、藤井教頭から本校の沿革についての紹介がありました。(詳細はHP参照。「学校案内」から「学校沿革」にお入りください。)
讃美歌は、1951年9月17日に最初の授業と礼拝が行われた際に讃美した「217番」から始まり、聖句「ヨハネによる福音書 第14章6節(わたしは道であり、真理であり、命 である。)」を拝読し、瀧校長より「大阪で学ぶ同志社の志」という内容で奨励をしていただきました。
(以下、奨励内容の要約)
1951年9月14日の開校から70年、本校は、教職員数・生徒数ともに当時の2倍を遙かに超える規模の学校となり、2万3千人を超える卒業生を排する学校法人同志社の中等教育機関として、また、関西屈指の私立中高として発展してきました。
合併当時の同志社総長であった大塚節治先生は、次のような文書を残しておられます。
「同志社は、かねてから大阪と因縁があり、新島先生が最初に日本第二の大都市、大阪に同志社を設立しようと計画したことを受け、これまで、実現に向けて努力してきたが、実らなかった。近年、同志社大学の学部、専攻が増えたことにより、学生数が増え、同志社中・高出身の学生の割合が少なくなった。少年時代から、同志社において、キリスト教教育を受けた生徒が、多数大学に進学する、中学に始まる同志社教育が大学に至って完成するという一貫教育を実現したいとの望み、合併を提案する。」
この思いに触れ、改めて、大阪の地で「キリスト教主義、自由主義、国際主義」を柱とする同志社の「良心教育」を実践する学校として、本校の存在意義と使命の重さを痛感する次第です。
本校が誕生してから70年、困難な状況に直面することもありましたが、学校は順調に発展してきました。
約8万平米の広大なキャンパスは、創立当初の面影はほとんど残りませんが、近代的、機能的なキャンパスへと生まれ変わり、すばらしい学習環境のもと、生徒たちは勉強やクラブ活動に伸び伸びといそしみ、それぞれが顕著な成果を上げています。
本校がこの先の歴史を刻んでいく上で、私たちは何に気を留め、何を大切に守っていかなければいけないか。私は、次の3つが大事であると思っております。
一つ目は、大阪にある同志社、唯一の学校が、同志社香里であるということです。新島先生が初めに学校設立をめざしていた場所は、京都ではなく大阪でした。大阪で唯一、新島精神を継承する同志社の学校であることを自覚し、今後も力強い歩みを続けていきたいと思います。
二つ目は、人の繋がりを大切にし、人の支えに感謝できる学校でありたいと思います。本校の歴史を顧みるとき、それぞれのターニングポイントでキーとなっているのが、人の繋がりや支え、支援や寄附です。
新島先生がアメリカから帰国直前、ラットランドのグレース教会で、約3000人の聴衆の前で、日本にキリスト教主義の学校を設立したいと訴えたことで、賛同者から寄付が寄せられ同志社の設立が実現しました。本校の歴史を溯ると、1940年の「大阪偕行社中学校」開校にあたっては浅井辰蔵氏から、また、財団法人山水育英会に合流し校名を「第二山水中学校」と改めた際にも山下亀三郎氏から寄付をいただいています。さらには「繋真館」も、卒業生の方からの寄付が原資となって竣工できました。今もなお、同志社の人脈のすごさ、連帯の強さは、他に類を見ないと思います。
三つ目は、同志社はキリスト教主義の学校で、礼拝や聖書の授業を通して、人を思う心を育む学校であることです。先に紹介した合併当時の同志社総長、大塚節治先生が残された文書の中でもその思いが明確に述べられています。
新島先生は1885年のチャペル定礎式で、「そもそも教育は宗教と密接に関係するものであって、教育の基本は宗教にあるというべきである。それゆえ、わが同志社の教育も、まことに、キリスト教と密接な関係を有するものである。こうして今日この定礎式を行い、この建物を神に捧げるのは、行く末大いに喜ぶべきことであると思う。なぜならこのチャペルは、わが同志社の基礎となり精神となるものだからである。」と述べました。
同志社は、キリスト教を強要し、クリスチャンを養成するのが目的の学校ではありませんが、キリスト教を持って人の心を育てる学校です。1951年9月17日に同志社香里としての初めての礼拝を行って以来、変わらず礼拝を守り続けてきました。礼拝が同志社の基礎となること、同志社教育に欠かせないものであることを自覚して、これからも、教職員と生徒が一体となって礼拝を守り続けたいと思います。
「一年の謀(はかりごと)は穀物を植えるにあり。十年の謀は木を植えるにあり。百年の謀は人を植えるにあり。」と、新島先生は、大学設立の事業が、国家百年の大計であり、なんとしても、とりかからねばならない事業であるとして、同志社を創立しました。この言葉を思うと、これまでの70年の歩みを顧みて、道なお遠きと感慨しますが、百年を目指せとの新島先生の言葉に励まされ、今後も皆さんと共に、同志社香里のさらなる発展に努めたいと思っています。